野村将揮 | 政策と経営と哲学のあいだ

京都/ハーバードを妻子&愛犬と散歩しながら考えたことの断章

2018-0720

 

歳を重ねるにつれて、達成よりも成長、成長よりも没頭を求めるようになるのだろう。肯定的な意味付けや意義付けを外部の規範に委ねていられた時分から、それが全であり無であるような存在論的融和あるいは霧散を志向するようになるのではないか。理由なんて要らない、そう言えるものが増えていくというのは、人間の限界と可能性の双方を映し出してくれているようにも思える。

 

特に意味も理由も無い人生で、何を増やしていきたいかを考えると、意外にまだ色々とあるらしい。それが社会全体に向かうような天啓や使命感に支えられるようになるのは、まぁ時間が何とかしてくれるというか、逆に言えば器の問題なのかもしれない。シュヴァイツァーも孔子も齢三十で云々と言っているが、後世の人間が深淵さを措定して言い継いだだけなのかもしれないし、或いは本当に人間はそういう風にできているのかもしれない。【了】

 

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