野村将揮 | Philosophical Insights − 哲学と政策と経営のあいだ −

哲学研究者で元経産官僚で医療AIベンチャーCXOがハーバードで考えた哲学的洞察の走り書き

人間関係について

原離隔、あるいは諦念について

哲学者マルティン・ブーバーは、日本で訳出されているところの "原離隔" なる概念を用いて他者との絶対的断絶を前提した他者論(より正確を期すれば自他論/自-他論/我-汝論)を説いた。たしかに、他者らしき存在は物理的・精神的な次元に留まることなくあら…

自己欺瞞の限界

自己欺瞞は往々にして他人と相対することで我が身に突き付けられる。何事においても小手先や綺麗事でそれらしいことを演出することはできる。「これが本当にやりたかったことなんだ」とでも言ってしまえば、(こんなご時勢においては)真っ当な猜疑からも逃…

人生への責任

自分の人生への責任を全て背負って生きて死んでいくほかないという残酷極まりない当然の事実を覚悟を以て受容した人間は、たとえ表面的には柔和でも、奥底から鬼気迫るものが滲み出て来る。無論、元来的に個人の生は独立して存立しているものではないので、…

「白い犬とブランコ」の記憶

学部生時分に掲題の短編に出会った。当時はドゥルーズのメルヴィル解釈に傾倒していたはずなのだが、いかなる心境ゆえか聴講していた中国思想の講義で紹介された作品群のひとつだった。 講義を担当されていた教授は魯迅「故郷」などの新訳で高名だった。中学…

義理と情理と

誰しもが数多の不義理を重ねてようやくに義理や情理の何たるかを教わるのではないかと思い至っている。このような心境に達すること自体が円熟のひとつのあり方なのだろう。身につまされることも余りに多いが、歳を取ったのか、他人の不義理に然程に強い憤り…

合縁奇縁

自己理解の深化や自己像の刷新は一般に(現在のみならず過去における)他者を介して為されていくが、これとは別次元の話として、畢竟、万事そのあいだにおいて不断に発見・解体・再定義を経た自己らしき何かを受容し愛でてくれる者との出逢いに恵まれるかど…

間合いと愛着

共同体や人間関係一般への間合いや愛着の取り方が個々人によって果てしなく多様であるという前提に立って具体的他者の理解に努めるといいのだろう。表現形の問題を超えて、人柄ひいては人生観の問題として。そもそもこの類のものが多様であるということ自体…

こんな世の中ひいては人生において

どうでもいいことに溢れているこんな世の中ひいては人生において、自分にとって何が「どうでもよくないこと」なのかを誠実に同定なり再定義なりしながら生きていくことが肝要なのだろうと思ってきた。

結果への執念

結果にはそれ相応の苦難や苦悩が伴う。しかしながら、この当然の事実を受け容れる覚悟は、一朝一夕はおろか、 "原体験" だとか "ライフイベント" だとかいった軽薄な言葉で吐露ないし開示できる程度の物では醸成され得ない。身を切るがごとき自助努力を極限…

他責性とコンプレックス

誰しも、他人の特定の言葉が幾年にも亘って心に刻まれて苦しむ、といった経験が多少なりともあるのだろうが、その発話者を逆恨みする人間があまりに多いように思われてならない(そして社会潮流としてあまりに増加し増長している)。実際には、具に見れば、…

個人主義を超えて: 「本当の自分」という神話と"dividual"(分人)

人生100年時代と言われ始めて久しいが、平均寿命が延伸を続ける今日日においても、日本はまだまだ「自己」について考える機会も時間総量も少ないと感じる。 「自己」と括弧を付したのは、一般に高校時代や大学時代に考えられることが多い将来の夢ややりたい…

「あいのり」と共同体規範と組織論の未来

人は誰しも言葉を媒介に規範意識を内面化している。また、個別の共同体規範は、特定の思想や志向性を言葉に乗せて構成員に植え付けることで成立する。世間的には「共通言語」や「組織理念」、「モットー」「クレド」など様々な呼ばれ方があるが、性質的には…

書くという営為について

一般に文章を書く際には、読み手や受け手が措定されている。それは成就しなかった初恋の相手かもしれないし、いまの好敵手かもしれない。自分にコンプレックスを植え付けた経験や場面かもしれないし、そのコンプレックスを刺激してくるインフルエンサーや世…

忘れ得ぬものの所在

ふと、親代わりだった祖父のことを思い出したので、少し書き残しておきたい。

経済産業省退職にあたって

今日付で経済産業省を退職した。入省に至った経過と今日感じたことを書き記したい。いつかの自分のために。

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