野村将揮 | 政策と経営と哲学のあいだ

京都/ハーバードを妻子&愛犬と散歩しながら考えたことの断章

2018-1018

 

結局のところ、ストレスは予測不可能性から来る部分が大きい。なんとなくの見立てで大丈夫そうだったり、個別に見れば大した負荷でなかったりしても、未経験かつ予測不可能な事柄で公私を埋めると行き詰まる。これはいい教訓になった。厳しく見ると、方々に於いて過信があったのだろう。

 

やはり「うまく進んでいる」と実感できる事柄を主軸に置いて日常生活を設計するに限る。拠り所があれば、多少の振れ幅があってもそれが一時的なものだと受け容れられる。安定的な主軸を持つことで、「自分が総じていい流れにいる」ということを信じられる。この自己信頼が揺らぐと悪循環に嵌る。全て70点では不安になるが、1つ90点なり100点なりがあれば、1つぐらい赤点でもなんとかなる気がしてくる(と思う)。

 

あとは、ストレスも、所与というか避けようがないもの、時間の経過に連れて質量が変化を見るもの、そもそも低減・回避できるもの、と分けて考えるのがよいだろう。世間で言われているほど、人間関係由来のストレスは多くはないのではないかと思う。【了】

 

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