野村将揮 | Philosophical Insights − 哲学と政策と経営のあいだ −

哲学研究者で元経産官僚で医療AIベンチャーCXOがハーバードで考えた哲学的洞察の走り書き

人生について

主題の獲得と方法の放棄

人は往々にして主題よりも方法に執心してしまう。本来的には主題が方法に先立つはずなのだが、語るべき/語られるべき主題の発見や受容には知的な蓄積に加えて精神的な労力が必要となるため、(実は相対的には獲得しやすい)方法に誘引されてしまう。 どうす…

原離隔、あるいは諦念について

哲学者マルティン・ブーバーは、日本で訳出されているところの "原離隔" なる概念を用いて他者との絶対的断絶を前提した他者論(より正確を期すれば自他論/自-他論/我-汝論)を説いた。たしかに、他者らしき存在は物理的・精神的な次元に留まることなくあら…

目的合理性を超えて

「目的合理的でありたいし、そうあるべきだ」と思いながら長らく生きてきた。だが、目的と呼び得るほどに小綺麗で耳障りのいいもの以上に、執着や執心の方がどうにも重要らしいと得心しつつある。 他人にとっては本当にどうでもいいことが自分にとっては途轍…

意味との闘い

やはり意味があると心の底から信じられる何かを持てているかどうかが大事なのだろう。もう10年以上前になるが、カーネギーホールで独演会を催すほどのアーティストに、ステージで一体何を考えているのかを尋ねた際の言葉、「自分がこの世で最も美しく尊いも…

自己欺瞞の限界

自己欺瞞は往々にして他人と相対することで我が身に突き付けられる。何事においても小手先や綺麗事でそれらしいことを演出することはできる。「これが本当にやりたかったことなんだ」とでも言ってしまえば、(こんなご時勢においては)真っ当な猜疑からも逃…

人生への責任

自分の人生への責任を全て背負って生きて死んでいくほかないという残酷極まりない当然の事実を覚悟を以て受容した人間は、たとえ表面的には柔和でも、奥底から鬼気迫るものが滲み出て来る。無論、元来的に個人の生は独立して存立しているものではないので、…

意味への問いと自己否定

こんなことに何の意味があるのか、と問うことを続けていくと、否応なしに自分という存在の意義さえも否定せざるを得なくなってくる。この問いの行き着く先、つまりは、得心と諦念とを以て意味の追求をようやく終えられる場所にこそ、思想信条がある。自己否…

言葉の頽廃による感性の消失、あるいは人間性の敗北について

言葉を尽くして感情や思想や記憶を語り、伝え、遺していく。この種の人間的営為に纏わる姿勢それ自体が前時代的なものになりつつある。衆目を集めるには過剰に単純化された形容や揚げ足取り染みた極論の方が効率(まさに"コスパ/タイパ")がいい。言葉が情報…

「白い犬とブランコ」の記憶

学部生時分に掲題の短編に出会った。当時はドゥルーズのメルヴィル解釈に傾倒していたはずなのだが、いかなる心境ゆえか聴講していた中国思想の講義で紹介された作品群のひとつだった。 講義を担当されていた教授は魯迅「故郷」などの新訳で高名だった。中学…

妥協という規範化

人生において何かを諦めるという経験は、価値観の形成に根深い影響を与え得る。人生を左右するレベルの妥協は、自己防衛のための暗黙の正当化の中で規範化されていく。一個の人間の価値観は、成功よりも失敗や挫折で形成・強化されやすい。後者の方が心に刻…

義理と情理と

誰しもが数多の不義理を重ねてようやくに義理や情理の何たるかを教わるのではないかと思い至っている。このような心境に達すること自体が円熟のひとつのあり方なのだろう。身につまされることも余りに多いが、歳を取ったのか、他人の不義理に然程に強い憤り…

合縁奇縁

自己理解の深化や自己像の刷新は一般に(現在のみならず過去における)他者を介して為されていくが、これとは別次元の話として、畢竟、万事そのあいだにおいて不断に発見・解体・再定義を経た自己らしき何かを受容し愛でてくれる者との出逢いに恵まれるかど…

間合いと愛着

共同体や人間関係一般への間合いや愛着の取り方が個々人によって果てしなく多様であるという前提に立って具体的他者の理解に努めるといいのだろう。表現形の問題を超えて、人柄ひいては人生観の問題として。そもそもこの類のものが多様であるということ自体…

こんな世の中ひいては人生において

どうでもいいことに溢れているこんな世の中ひいては人生において、自分にとって何が「どうでもよくないこと」なのかを誠実に同定なり再定義なりしながら生きていくことが肝要なのだろうと思ってきた。

結果への執念

結果にはそれ相応の苦難や苦悩が伴う。しかしながら、この当然の事実を受け容れる覚悟は、一朝一夕はおろか、 "原体験" だとか "ライフイベント" だとかいった軽薄な言葉で吐露ないし開示できる程度の物では醸成され得ない。身を切るがごとき自助努力を極限…

「正しく苦しめ」

掲題は10年以上前に友人に言われた言葉。苦手なことや不愉快なことからの逃避が可能だと錯覚させてくる類の事物が世にどれだけ増えようとも、人間の生は、綺麗事や小手先で肯定できるほど容易でもなければ浅薄でもない。

他責性とコンプレックス

誰しも、他人の特定の言葉が幾年にも亘って心に刻まれて苦しむ、といった経験が多少なりともあるのだろうが、その発話者を逆恨みする人間があまりに多いように思われてならない(そして社会潮流としてあまりに増加し増長している)。実際には、具に見れば、…

ありえた未来についての哲学的省察

中学校の国語の教科書にあった、「人生はからくりに満ちている。」という星野道夫の言葉が、なぜか15年以上にわたって心に刻まれて残っている。 最近、起こり得た未来について考えることが多い。いつかは死ぬ中で、これからの自分の未来を何が規定し得るのか…

SDGsブームから考える同時代的主題と構造的課題と

いつの時代においても、いわば「同時代的主題」とでも呼ぶべきものがある。 たとえば1960年代には、ベトナム反戦運動やヒッピー運動が世界的な趨勢を惹起し、日本国内においても岩波進歩派知識人が中心となって一つの時流が形成されていたわけだが、これは時…

個人主義を超えて: 「本当の自分」という神話と"dividual"(分人)

人生100年時代と言われ始めて久しいが、平均寿命が延伸を続ける今日日においても、日本はまだまだ「自己」について考える機会も時間総量も少ないと感じる。 「自己」と括弧を付したのは、一般に高校時代や大学時代に考えられることが多い将来の夢ややりたい…

書くという営為について

一般に文章を書く際には、読み手や受け手が措定されている。それは成就しなかった初恋の相手かもしれないし、いまの好敵手かもしれない。自分にコンプレックスを植え付けた経験や場面かもしれないし、そのコンプレックスを刺激してくるインフルエンサーや世…

経済産業省退職にあたって

今日付で経済産業省を退職した。入省に至った経過と今日感じたことを書き記したい。いつかの自分のために。

2018-1018

2018-0917

2018-0910

2018-0720

2018-0702

2018-0615

2018-0609

2018-0525