野村将揮 | Philosophical Insights − 哲学と政策と経営のあいだ −

哲学研究者で元経産官僚で医療AIベンチャーCXOがハーバードで考えた哲学的洞察の走り書き

意味との闘い

やはり意味があると心の底から信じられる何かを持てているかどうかが大事なのだろう。もう10年以上前になるが、カーネギーホールで独演会を催すほどのアーティストに、ステージで一体何を考えているのかを尋ねた際の言葉、「自分がこの世で最も美しく尊いものだと思って演奏している。」は今なお深く印象に残っている。この次元の強度や純度で意味への信頼を獲得出来たなら恐れるものは殆ど何もないと言っていいだろう。だが、当然にそこに至るまでがひとえに名状し難い。もはやこれ自体が広い意味での運であり結果論ひいては決定論的であるようにさえ思われる。

先週、英国の哲学者に日本語の「意味」と「意義」の違いを問われた(文脈上、ここでの「意味」は「言葉の指し示す先」以外のものを措定している)。この際、「意味」は私的な、「意義」は公的なニュアンスを有するはずだ、と答えたのだが、「意味」なる一語に言葉の機能としての外的な絶対性と信条としての内的な脆弱性とがともに含まれているらしいことを思うにつけても面白い。意味なるものはどこまでも私的に絶対的であり、ゆえに脆いのだろう。

 

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