野村将揮 | Philosophical Insights − 哲学と政策と経営のあいだ −

哲学研究者で元経産官僚で医療AIベンチャーCXOがハーバードで考えた哲学的洞察の走り書き

目的合理性を超えて

「目的合理的でありたいし、そうあるべきだ」と思いながら長らく生きてきた。だが、目的と呼び得るほどに小綺麗で耳障りのいいもの以上に、執着や執心の方がどうにも重要らしいと得心しつつある。

他人にとっては本当にどうでもいいことが自分にとっては途轍もなく大事だということは少なくない。およそ(いわゆる)客観的に見て合理的とは到底思われない事物を目的として規定する際に執着や執心が現前してくる。執着や執心は感情の問題であり、ひいては化膿していった末に感性や価値観それら自体の土台になっていく。

自分にとっての論理が他人にとっての論理とは体系が異なることも、その逆も、当然に生じてくる。多様性などという類の綺麗事も本来的にはこの次元から誠実な議論を始めることが妥当なはずなのだが。仮に合理性という規範や体系が食い違い続けるにしても、目的は、少なくとも合理性に比べれば遥かに容易かつ深く、共有され得るのだから。

 

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