野村将揮 | 政策と経営と哲学のあいだ

京都/ハーバードを妻子&愛犬と散歩しながら考えたことの断章

経済産業省退職にあたって

今日付で経済産業省を退職した。入省に至った経過と今日感じたことを書き記したい。いつかの自分のために。

 

中学時代は剣道に、高校時代は東大受験に、文字通り全身全霊で打ち込んだ。近しい親類に一人も大卒がいない田舎の片親家庭で育ったが、今思えば、そのような機会・環境が与えられていたことは幸福以外の何物でもなかった。

 

東大受験の対策の中で入試問題に出される評論文、つまりは、大学教授が受験生に生涯記憶していてほしいと願っているであろう文章を、ゆっくりと咀嚼し、じっくりと考えることができた。いつしか、その時間が好きだ、と漠然と思うようになり、文科三類(文学部前期課程)に出願しようか迷った末、文科一類(法学部前期課程)を受験し、入学が叶った。

 

大学時代は数多くの友人に出会えた。生まれ変わっても出会いたいと思える親友や師も得られた。そして、世に言われる学歴を手にしたことで、経済的困窮に関する懸念も大きく低減した。

 

大袈裟に言えば、田舎の片親家庭といった環境から血を吐くような努力で這い上がってきた矜持があった中で、目指すもの、否、執着すべきもの、或いは、闘わなければならないものが無くなっていった。自分が十分に幸福で、いま死んでも大きな後悔は無い、と思うようになった。

 

苦悩の末に、こんな自分でも、真理探究を通して人類の知の歴史に傷跡を残すこと、或いは、具体において他者や社会に貢献すること、この2つは生きる理由として認めることができそうだと考え至り、いわば、そのように仮託した。それは虚構ではなく祈りと呼んでと差し障りのないものだっただろうと今なお思う。のちに、出会いに恵まれ、後者を選択するに至った。

 

経済産業省は、器量が大きく風通しがいい、そして、(正しい形容かどうか自分では判断できないが)健全な自負と帰属意識を有した組織だった。自然、仕事も総じて楽しかったので、多少なりとも心身に負荷は掛かったものの、仕事が嫌だと思ったことは無かった。

 

いつしか国費留学の年次が近付いてきたので、自身の経歴を俯瞰し、自分を納得させるためのフィクションを構築した上で、「最も難しい」と言われることが多いらしいMBA受験の準備に着手した。しかしながら、必要とされる試験点数も概ね満たし、志望理由のエッセイに取り掛かり始めたころ、そのフィクションを信じられなくなった。自分の人生にこの時間が必要なのか、と。

 

同定しきれない違和感の中で苦悶を重ねた結果、自分は畢竟、本を読んで、風景を見て、歴史を感じて、それを自分の言葉に落とし込んで咀嚼し、人間や世界、ひいては宇宙、或いはその先の何かに感動し、生を肯定したいのだ、と腑落ちした。宗教的教義がほしかったわけではなく、人間や、人間が知覚ないし思考できるものを、心の底から肯定してから死にたいのだと思い至った。そして、それに名称を付すならば、「学問」でよいのではないかという仮説も立った。退職は、この得心と同時に決意した。

 

本日付で経済産業省を退職した。人事手続き上の話を除き、ごく限られた人にだけ事前に報告した。最初の部署の上司に報告したのも昨日だった。自分の人生に関する決断が直接伝達した本人以外の第三者に伝わり、事実に立脚しない伝聞や印象を元に話題として消費されることに、自分は強い違和感と不快感を感じるだろう、そして、それは新たに人生を歩まんとせん自身の区切りとして芳しくないことだろう、と考えてのことだった (言わずもがな、消費されるにせよ、退職前と退職後ではまるで意味合いが異なってくる。)。

 

結果、多くの方から今日、なんで事前に相談しなかったんだ、というお叱りを受けた。一緒に考えてやることができた、色々な選択肢を探せた、できることもあった、と。すでに述べたように、近しい親類に大学卒が一人もおらず、法事で勤務先を伝えると「計算(けいさん)省って、お前、文系じゃなかったか」と問われる環境で、受験や就職といった人生における大きな決断は、全て自分で下してきた(母と他界した祖父は、健康に気を付けろ、とだけ繰り返し心配した。)。物事は一人で考えて決断するものだと思っていたし、他人は自分をさほどに気に掛けていないのだと信じていた。

 

しかしながら、自分は全く人間関係というものを理解していなかったのだと、今日になって気付かされた。多くの人が、経済産業省という組織を離れるからではなく、僕という個人の人生を、彼ないし彼女の視座で真剣に案じて、上記のような言葉を与えてくれた。そして、職務上の日々のコミュニケーションでは感得されないことが多いのかもしれないが、こういうまなざしの下で、一日一日、仕事をさせてもらえてきたのだ、と退職の日に漸くに気が付いた。思い返せばそういった場面は数え切れなかった。人目には晒さないが、今日一日で何度涙腺が緩んだか、これもまた本当に数え切れない。

 

結論染みたものを付すと一気に陳腐なものになってしまうが、こういった人間関係こそが人生の醍醐味であり財産なのだろうと帰路で噛み締めるに至っている。噛み締めたあとのこの余韻をどう形容するかは、今後数年を賭して考えていきたい。そして、退職の日に記す自身の心境がこういったものであることを再度俯瞰するにつけ、4年7ヶ月間におよび身を置いた経済産業省に、本当に感謝している。【了】

 

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