こんなことに何の意味があるのか、と問うことを続けていくと、否応なしに自分という存在の意義さえも否定せざるを得なくなってくる。この問いの行き着く先、つまりは、得心と諦念とを以て意味の追求をようやく終えられる場所にこそ、思想信条がある。自己否定の蓄積の中においてのみ存在論的了解の支柱が樹立されていくのであり、この支柱の強靭さが、世に言う有意義な人生を支えていく。その意義は意味への問いへの答たり得ないが、少なくとも問いそのものを霧消させてはくれる。人間はそのように脆く儚く生きていく中で、その脆さや儚さを愛することを学びながら死んでいくものなのか。