野村将揮 | Philosophical Insights − 哲学と政策と経営のあいだ −

哲学研究者で元経産官僚で医療AIベンチャーCXOがハーバードで考えた哲学的洞察の走り書き

言葉の頽廃による感性の消失、あるいは人間性の敗北について

言葉を尽くして感情や思想や記憶を語り、伝え、遺していく。この種の人間的営為に纏わる姿勢それ自体が前時代的なものになりつつある。衆目を集めるには過剰に単純化された形容や揚げ足取り染みた極論の方が効率(まさに"コスパ/タイパ")がいい。言葉が情報として下賤に浪費されるようになって久しく、この浪費に値しない言葉は市場価値が低いという理由で存在意義を認められ難くなってしまっている。何十年もの経験と何十時間もの手間の集大成たる一皿もファストフードも同等に「おいしい」という一言と不自然極まりない加工に塗れた写真とで貶められてしまうこんなくだらない世界で、忘れられない、或いは忘れたくない一言も、表情も、風景も、何もかもが軽薄に一般化されて日々無惨にも失われていく。自他の心に刻むための言葉も刻まれるべきものを見定める感性も、人間の人間たる所以として両者を見定め保全していくべきだという思想も努力も、諸共に時勢に掻き消されていく。分断などという便利な言葉では到底片付けられない根源的な断絶が感知されることさえなく至る所で拡がり深まっている。「死ぬまでファストフード貪りながらSNSに粘着してドーパミンに溺れてろ」と断罪することもできるのだろうが、それを何としてでも拒否するところにこそ人間全般への儚くも涙ぐましい信頼がある。この信頼を放棄しないことこそが人間全体の尊厳に根本から関わる問題にほかならず、ゆえにその在処としての言論空間と言説とが致命的に重要だったが、いまや到底機能しているとは言えない。言葉が頽廃し、感性が消失し、人間性が敗北した果てに何が待ち受けているのか。ここに悍ましい不安を抱くことさえも既に時代錯誤なのか。

 

------------

本稿の著作権は著者に帰属します。著者の許諾のない複製・転載・引用等を禁止するとともに、これらに対しては、適宜、法令に則り対応します。どうかご留意ください。