野村将揮 | 政策と経営と哲学のあいだ

京都/ハーバードを妻子&愛犬と散歩しながら考えたことの断章

結果への執念

結果にはそれ相応の苦難や苦悩が伴う。しかしながら、この当然の事実を受け容れる覚悟は、一朝一夕はおろか、 "原体験" だとか "ライフイベント" だとかいった軽薄な言葉で吐露ないし開示できる程度の物では醸成され得ない。身を切るがごとき自助努力を極限まで重ねた末に、努力などという綺麗事だけではどうにもならない人生の残酷さを泣きながら噛み締め、これらをも糧にして絶望しながら結果を追求するという思想や信条、或いは狂気。この種のものに触れてこなかった人間が幸運なのか不運なのかは断じ難く、また、この種のものに触れる機会自体が大幅に減ってきている社会潮流を断罪するにも拠り所が無いのだが、泣きながら自他と向き合い続けてきた人間が日夜愉悦に惚けている人間よりも(少なくとも傍目に見て)報われるのは道理だろう。翻って、この執念の有無や程度を見定めることが対人関係や組織運営における健全な距離感を、すなわち諦念と矜持を、可能とするのであれば、それもまた絶望的な話ではある。

 

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