野村将揮 | 政策と経営と哲学のあいだ

京都/ハーバードを妻子&愛犬と散歩しながら考えたことの断章

義理と情理と

誰しもが数多の不義理を重ねてようやくに義理や情理の何たるかを教わるのではないかと思い至っている。このような心境に達すること自体が円熟のひとつのあり方なのだろう。身につまされることも余りに多いが、歳を取ったのか、他人の不義理に然程に強い憤りを抱くことは滅法減ってきたらしい。だとすれば、謝罪に行脚するよりは淡々と目配せしてやることこそが報恩なのだろう。この総体が(嫌いな規定の仕方だが、いわゆる)日本的なのか儒教的なのか何なのかについても一応は考えていきたいが、まずは赤面しながら就寝する。歪んだ憎悪や他責性を化膿させない支えとしての理に感謝しつつ。

 

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