野村将揮 | 政策と経営と哲学のあいだ

京都/ハーバードを妻子&愛犬と散歩しながら考えたことの断章

ありえた未来についての哲学的省察

中学校の国語の教科書にあった、「人生はからくりに満ちている。」という星野道夫の言葉が、なぜか15年以上にわたって心に刻まれて残っている。

最近、起こり得た未来について考えることが多い。いつかは死ぬ中で、これからの自分の未来を何が規定し得るのか/自分の未来が何によって規定され得るのかをよく考える。もしかしたら、ようやく、未来を考えられるだけの過去が蓄積されてきたのかもしれない。

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SDGsブームから考える同時代的主題と構造的課題と

いつの時代においても、いわば「同時代的主題」とでも呼ぶべきものがある。

たとえば1960年代には、ベトナム反戦運動やヒッピー運動が世界的な趨勢を惹起し、日本国内においても岩波進歩派知識人が中心となって一つの時流が形成されていたわけだが、これは時代の常態だろう。

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個人主義を超えて: 「本当の自分」という神話と"dividual"(分人)

人生100年時代と言われ始めて久しいが、平均寿命が延伸を続ける今日日においても、日本はまだまだ「自己」について考える機会も時間総量も少ないと感じる。

「自己」と括弧を付したのは、一般に高校時代や大学時代に考えられることが多い将来の夢ややりたいこと的なサムシングと区別したかったからで、換言すれば、「自己という概念それ自体がどういったものか」を考える機会があまりに少ない。

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「あいのり」的共同体規範と組織論の未来

人は誰しも言葉を媒介に規範意識を内面化している。また、個別の共同体規範は、特定の思想や志向性を言葉に乗せて構成員に植え付けることで成立する。世間的には「共通言語」や「組織理念」、「モットー」「クレド」など様々な呼ばれ方があるが、性質的には大きく変わらない(指し示す射程や抽象度には結構な差があるにせよ。)。

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書くという営為について

一般に文章を書く際には、読み手や受け手が措定されている。それは成就しなかった初恋の相手かもしれないし、いまの好敵手かもしれない。自分にコンプレックスを植え付けた経験や場面かもしれないし、そのコンプレックスを刺激してくるインフルエンサーや世論や社会潮流と呼ばれる何かかもしれない。

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