人生において何かを諦めるという経験は、価値観の形成に根深い影響を与え得る。人生を左右するレベルの妥協は、自己防衛のための暗黙の正当化の中で規範化されていく。一個の人間の価値観は、成功よりも失敗や挫折で形成・強化されやすい。後者の方が心に刻まれて長く化膿しやすいのだから道理ではある。自分の価値観/価値規範の根底にある妥協を探す意識的な努力は、新たな挑戦の機会を提示してくれるかもしれない。それは価値観/価値規範の刷新の好機たり得るし、過去の清算やコンプレックスの超克たり得る。とは言え、この努力を不断に続ける程度の誠実さを人間に期待するのも、やはり高尚に過ぎるというか傲慢で暴力的なお話なのかもしれない。他方では、この妥協もまた規範化に至る最たるものだろうし、この種の諦念こそが人間社会の鬱屈とした閉塞感を醸成してきたようにも思われてならない。こうして妥協が妥協を、諦念が諦念を、再生産・強化していく。これに抗う精神的強靭さを獲得し保持できるかどうか。
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